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ハンセン病コロニーについて

ハンセン病は現在、適切に治療を行えば治癒する疾患であり、後遺症にまで進展するケースは少ないため、余命に関する統計は行っていない。

プロミン発見以前は適切な治療法が存在しなかったため後遺症に至るケースも多く、後遺症を含めた余命を考慮すると、若干低くなる。ハンセン病の神経障害が原因で生じる喉頭機能障害は、呼吸困難を誘発するため主な死亡原因であった。

日本では療養所内の食糧事情の問題の影響など社会的事情から、感染症が療養所内で流行するなど、余命の低下が昭和20年をピークにみられた。死亡原因としては、日本国内やその頃統治していた韓国では結核が、沖縄ではマラリアが最大であった。 現在では、ハンセン病以外の死亡統計と変わらず、平均年齢86.7歳の71名の死亡原因は肺炎21名、悪性腫瘍20名、循環器疾患9名、脳血管疾患5名、呼吸不全(肺炎を除く)5名という統計がある。
歴史的にはハンセン病は治らない病気で視覚的な変形や身体障害が影響し伝染性の強いものであると信じられていたため、ハンセン病患者は多くの社会から強制的に排除された。そのため一つの場所に救済を求めてハンセン病患者が自主的に集まったり、ハンセン病患者を強制的に1箇所に集められることによって、ハンセン病コロニーが出来た。この中には療養所として治療のための施設が作られたところもある。多くのコロニーは社会から断絶した島や僻地にあることが多い。ハワイのモロカイ島やノルウエーの国立病院などの例がある。

キリスト教に則って運営されたハンセン病者施設は、聖書の中のラザロの寓話からlazar houseと呼ばれる。

日本では明治時代にハンセン病患者の救済が行われ療養所が建てられた。日本では、1889年にテストウィード神父が静岡県御殿場市神山に神山復生病院を設立したのが最初の療養所であり、その後各地に私立療養所が建てられた。公立療養所(都道府県連合)に関しては、1907年に設置の法律ができ、その2年後に全国に設置された。その後、多くの私立療養所は閉鎖されていき、公立療養所(都道府県連合)は1930 - 1940年頃になると国による一括統治・強制隔離政策推進の目的のために国立に移管された。別の理由としては、患者数に比例して各県から予算を決定する会議が毎年大変であったからである。

現在は、13の国立療養所と2の私立療養所が現存するのみとなった。ハンセン病は回復しているが以前の政策により入所された人のうち、後遺症が残っており介助を必要としている人と、社会や家族との関係で入所が必要な人の施設となっている。

余談だが、国立ハンセン病療養所の一つである国立駿河療養所は、1942年にハンセン病傷痍軍人療養所として建てられたものである。これは日本で初めてであった。神山復生病院と同様、静岡県御殿場市神山にあるが場所は離れている。1945年に現在の名前に改称し厚生省(現在の厚生労働省)の所管となった。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

ハンセン病は昔は治療方法もなく重篤な疾患でしたが、現在、適切に治療を行えば治癒する疾患に変わってきました。


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2009年7月22日 19:15に投稿されたエントリーのページです。

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